「ネヴァー・イナフ」 視線の先に誰がいるのか?

 この曲の場面の魅力はなんと言ってもスウェーデンの歌姫ことジェニー・リンドの歌唱力です。

 リンドを演じるのはレベッカ・ファーガソンですが、歌はローレン・アレッドが吹き替えています。ファーガソンもすぐれた歌唱力をもつそうですが、スウェーデンの歌姫と称すほどにはすぐれていない、ということで吹き替えが決まったそうです。

 余談ですが、ハリウッドにはかつてマーニ・ニクソンという伝説のゴーストシンガーがいました。『王様と私』、『ウエスト・サイド物語』、『マイ・フェア・レディ』等の傑作ミュージカル映画で主演女優の歌の吹き替えをした歌手ですが、その事実は映画会社によって長いあいだ伏せられていました。

 この場面のもうひとつの魅力は、観客に歌を聴かせると同時に、複数の登場人物の心の動きを描いていることにあります。曲が流れている最中にもドラマが進行しているのです。

 そのために効果的に使われているのが、視点ショットという技法です。これは簡単に言えば、登場人物の視点にカメラを置き、その人物が見ているものを撮影した映像です。

 視点ショットがあるとなにがよいかと言うと、その映像を見ている瞬間、観客は登場人物とひとつの視点を共有することができます。映画のなかの人物と一体となって、ある光景を一緒に目撃するのです。当然、登場人物への感情移入が高まります。

 「ネヴァー・イナフ」の場面では複数の人物の視点ショットが巧みに組み合わされています。そのことにお気づきでしょうか。ここではリンドが最初のサビを歌ったあとの箇所に注目してみます。つまり曲の後半ですが、じつに三人もの人物の視点ショットが出てきます。バーナムとフィリップとチャリティです。

 この箇所で私たちは、あるときはバーナムになり、あるときはフィリップになり、またあるときはチャリティになって、それぞれにとって決定的な光景を目撃するのです。

 もしお手元にブルーレイかDVDがあれば、ぜひさきに映像でそのことを確認した上で、以下の文章をお読みください。

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 最初にバーナムの視点ショットがあります。

 舞台袖にいるバーナムが客席に目をやると、上流階級の観客たちはリンドの歌にすっかり魅了されています。そのなかにはバーナムのことをさんざん酷評してきた批評家もいます。これがバーナムの視点ショットで描かれるのです。

 自分を馬鹿にしてきたやつらを見返してやった。バーナムが溜飲を下げる決定的瞬間を、私たち映画の観客はバーナムと一緒に体験します。

 これにつづいて、成功をもたらしてくれた女性の姿もバーナムの視点ショットで描かれます。バーナムが舞台のほうに目を映すと、熱唱するリンドの姿が彼の視点ショットでとらえられるのです。バーナムにさらに上の成功を求めたいという欲求が生じます。そもそも「ネヴァー・イナフ」はバーナムの心情を物語る歌という一面をもちます。

 フィリップ(ザック・エフロン)の視点ショットもあります。

 『グレイテスト・ショーマン』にはバーナムとチャリティ、フィリップとアンという二組のカップルが登場しますが、フィリップはこの場面ではじめてアンの手を握ります。

 そのときです。フィリップはふと上方から視線を感じます。裕福な身なりの老紳士が二階席からフィリップとアンを見ています。老紳士にうながされて、隣の女性もふたりに視線をむけます。

 それは明らかに非難めいた視線です。のちほどこの老夫婦はほかならぬフィリップの両親であることが明らかになります。フィリップの両親は彼が黒人の娘と手をつなぐのが許せないのです。両親の冷たい視線に動揺したフィリップはアンとつないだ手を離してしまい、それにショックを受けたアンはその場から立ち去ります。

 老夫婦が冷たい視線を送る様子はフィリップの視点ショットで描かれます。その視点ショットをつうじて観客はフィリップの動揺を、そして彼の心の弱さありありと理解します。誰から非難されようともアンを愛するという覚悟がまだできていません。

 ただしその覚悟はネヴァー・イナフではなく、ノット・イェット・イナフにすぎません。その覚悟が十分なものとなり、そしてそれが驚くべきかたちで証明されるのは、のちの「リライト・ザ・スターズ」の場面のことです。

 ここまでバーナムとフィリップの視点ショットを紹介しましたが、場面の最後にはチャリティの視点ショットもあります。

 実のところこの場面でもっとも観客の心を強く揺さぶるのはチャリティの視点ショットではないでしょうか。

 なにしろ彼女の視線の先にいるのは、熱唱をつづけるリンドと、そのリンドに完全に視線を心を奪われたバーナム、つまりは自分の夫です。かつてアパートの屋上から飛び出した自分を捕まえてくれた夫です。このチャリティの視点ショットを見逃すか見逃さないかで、のちに彼女が歌う「タイトロープ」の場面の味わいも大きく変わってきます。